引用元:https://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1767589005/
ブッダ(釈迦牟尼世尊)は、師匠につかず、自分一人の力で真理を悟った「正等覚者(しょうとうがくしゃ)」だが、ブッダが悟りを開くための修行(菩薩行)を続けていた期間は、「三阿僧祇百大劫(さんあそうぎひゃくだいこう)」と言われ、阿僧祇とは、四方一由旬(約15km四方)の、巨大で硬い一つの大きな岩山(大石山)があるとして、100年に一度、天女が空から降りてきて、羽衣でその岩の表面を「サラリ」と一度だけ撫でる、この撫でるという行為を繰り返し、巨大な岩山が完全に摩耗して消えてなくなってしまったとしても、まだ「一劫」は終わらない、阿僧祇とは、その単位を数え切れないほど集めた状態を指す
この記事への反応

ただの嘘つきってこと?

手塚ブッダは何度も読んだ

しかし、ブッダが真理を広めたことにより、今生のみの修行でも悟れるようになり、ガチのマジの悟りへの超大革命が起きる
究極の神ショートカットが発見される
究極の神ショートカットが発見される

ブッダは悟り、この深遠なる真理は凡夫には理解しかねる、私が悟ればそれでいいのではないのか、と考えていたところに、創造神ブラフマー(梵天)が現れ、「世尊(世界・宇宙において最も尊い存在)よ、どうか法(真理)を説いてください、幸せに到達した方よ、どうか法を説いてください、世の中には、心の汚れが少ない者達もおります、彼らは法を聞くことができなければ、衰退してしまいます、しかし、法を聞けば、彼らは真理を理解することができるでしょう!」と、真理を広めるように、ヴィシュヌ(維持)、シヴァ(破壊)と並ぶ、三大神(トリムルティ)の一柱である、この宇宙そのものを生み出した親であるブラフマーが、たかが35歳の小汚い人間の臭そうなクソガキに懇願する

阿僧祇なんとか年修行したんじゃないの?
デーモン小暮みたいになんとか阿僧祇35歳とか?
デーモン小暮みたいになんとか阿僧祇35歳とか?

仏陀と仏教を否定するわけじゃないけど正直悟りって言ったもん勝ちだよな

宇宙も長い歴史があってブッダが出てくるまでなにしてたんだよ
しかもたかが人間だろ
しかもたかが人間だろ

すまん長すぎる3行で頼むわ

自称クソ長修行した35歳ブッタ、何故か最高神から支持かつ指示される
真理とやらを広めたいので昔の同僚のとこで頑張ってみる
苦しみで何も思いつかなかったけど施しがグッと来たので「あ、これじゃね?」ってなった。
俺も分からないんだけどこういう解釈で読んだわ

形式的には出迎えたものの、彼らの心にはまだ疑念があった
彼らはブッダを以前の名である「友よ、ゴータマよ」と呼んだ
ブッダはそれに対し、静かにこう告げる
「修行者たちよ、如来(悟った者)を名で呼んだり、友と呼んではならない、如来は今、正しく悟り、不死の真理を得たのだ」
5人は反論する
「あなたは苦行をやめ、快楽に走ったではないか、どうして悟りを得たと言えるのか?」
ブッダは三度にわたって語りかけ、最後にこう問いかける
「修行者たちよ、私はかつて、今のような輝かしい表情で語ったことがあっただろうか?」
この言葉に、5人はハッとする
確かに目の前の人物は、以前の仲間だった時とは決定的に違う「何か」に到達している
彼らはついに心を開き、ブッダの教えに耳を傾ける準備が整う
彼らはブッダを以前の名である「友よ、ゴータマよ」と呼んだ
ブッダはそれに対し、静かにこう告げる
「修行者たちよ、如来(悟った者)を名で呼んだり、友と呼んではならない、如来は今、正しく悟り、不死の真理を得たのだ」
5人は反論する
「あなたは苦行をやめ、快楽に走ったではないか、どうして悟りを得たと言えるのか?」
ブッダは三度にわたって語りかけ、最後にこう問いかける
「修行者たちよ、私はかつて、今のような輝かしい表情で語ったことがあっただろうか?」
この言葉に、5人はハッとする
確かに目の前の人物は、以前の仲間だった時とは決定的に違う「何か」に到達している
彼らはついに心を開き、ブッダの教えに耳を傾ける準備が整う

生臭坊主が急にコツ掴んで真理だかに辿り着いただけで5人とも苦行に耐えてたのに快楽一発でそんな返しされたらキレるだろ

経典はすべてフィクションだからな
そもそもブッダは経典を否定してたから
最初の経典ができたのは死後五百年とか経ってからだし
そもそもブッダは経典を否定してたから
最初の経典ができたのは死後五百年とか経ってからだし

実際ブッダってすごいの?

若い頃に王子としてやりたい放題できた経験があったからだと思うんだ
俺だってそんな頃があれば今頃悟ってるはず
俺だってそんな頃があれば今頃悟ってるはず

ここでブッダが説いたのが、有名な「中道(苦楽の両極端を避けること)」と「四諦(苦しみの解決策)」
そして、5人全員がブッダの弟子となった
そして、5人全員がブッダの弟子となった

仕事サボってた同僚が辞めたと思ったら競合他社として成功してて、しかも自社よりも優秀だったから皆そっちに転職した感あるのやるせない

てかどこが偉大か全く教えられてない件

5人は元々「超エリートの苦行者」であり、真理に対して非常にストイックで疑り深い知識人でもあった
そんな5人がブッダの説く真理に片っ端から疑問点を投げかけ、ブッダはそれを筋道立った一貫した論理で片っ端から論破という、熾烈なロジックの応酬、ディベートがあった
そんな5人がブッダの説く真理に片っ端から疑問点を投げかけ、ブッダはそれを筋道立った一貫した論理で片っ端から論破という、熾烈なロジックの応酬、ディベートがあった
まず5人が食いついたのは、彼らのアイデンティティである「苦行」を否定された点
「我々は死ぬほどの苦痛に耐えて真理を探してきた、お前は乳粥を食べて体力を回復させた、それは単なる妥協(快楽)ではないのか?楽をして悟れるはずがない」
ブッダ 「では問おう、弦楽器の糸は締めすぎれば切れる、緩めすぎれば鳴らない、修行も同じだ、肉体を痛めつけすぎれば心は曇り、甘やかせば心は沈む、『中道』とは妥協ではなく、最も効率的に知性を働かせるための最適解なのだ」
この「琴の糸(弦)」の比喩による「最適化の理論」は、極端な思想に走っていた彼らにとって、目から鱗が落ちるような合理的説明だった

瞑想が苦しみにも快楽にも見えないというかむしろさっきまでの罰に比べたら妥協にしか見えないんだが
なんかハマったから現状を一旦最適解って言ってるだけじゃないのこれ
なんかハマったから現状を一旦最適解って言ってるだけじゃないのこれ

最後に5人が突きつけたのは、当時のインド哲学の根幹である「魂(我)」についてだった
「では、修行している『私』とは何だ? 悟りを開く主体はどこにいる?」
ブッダ 「よく見なさい、体も、感覚も、記憶も、意志も、すべては条件によって変化し続けるプロセスに過ぎない、『不変の私』などどこにも存在しない、それなのに『私』に固執するから苦しいのだ」
この「無我(むが)」のロジックは、当時の常識を覆す革命的な思考だった
ブッダは彼らの質問に対して、一つ一つを要素分解し、論理的な矛盾を突きつけ、逃げ場をなくしていった

5人のなかで最初に「これガチのやつ、、、」と理解したのがコンダンニャだった
彼はブッダの淀みない説明を聞いているうちに、頭の中でバラバラだったパズルが完成するように、「生じるものは、すべて滅びる性質のものである」という、この世の絶対的な法則(縁起)を完全に理解した
ブッダがそれを見て、「コンダンニャがわかった! コンダンニャがついに理解したぞ!」と歓喜したという記録が残っている
冷ややかだった5人が、最後には「論理的に反論の余地がない」と白旗を上げ、更にその教えによって自分たちの心から霧が晴れていく実体験を伴ったとき、彼らはかつての仲間を「最高の師」として仰ぐようになった
まさに、「冷徹なロジックが、凍りついた感情を溶かした瞬間」だった
彼はブッダの淀みない説明を聞いているうちに、頭の中でバラバラだったパズルが完成するように、「生じるものは、すべて滅びる性質のものである」という、この世の絶対的な法則(縁起)を完全に理解した
ブッダがそれを見て、「コンダンニャがわかった! コンダンニャがついに理解したぞ!」と歓喜したという記録が残っている
冷ややかだった5人が、最後には「論理的に反論の余地がない」と白旗を上げ、更にその教えによって自分たちの心から霧が晴れていく実体験を伴ったとき、彼らはかつての仲間を「最高の師」として仰ぐようになった
まさに、「冷徹なロジックが、凍りついた感情を溶かした瞬間」だった
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