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暇なので泣けるコピペを貼って行くパート1【泣ける2ちゃん・親子編】

 公開日時:2015年01月14日01時33分(水)
      コメント(2) 
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泣ける2ちゃん、大好きです

ビップラ(VIP+)で泣けるコピペを貼り付けているスレがあったので、まとめてみました。

 

全部で200以上の膨大なコピペなので、分割して更新していきます。

 

2ちゃんの泣ける話って好きなんですよねぇ…今回は、親子編。母親の話をされると涙ぐむような年になってしまった。。。

 

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2tyan

 

 

 

引用元: 暇なので泣けるコピペを貼って行く

1: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 11:51:46.98 ID:MxH7/mRw0.net
今年、母が亡くなった。

遅い反抗期だったと思う。中学生まで親に逆らわず良い子だった俺が、
高校生になり急に親に反抗するようになった。
母親には罵声を浴びせ、家に帰らない日々が続いた。

高校卒業と同時に家出同然に実家を出た。
最初のうちはそれでも住所くらいは伝えていたが、
住所を何度か変えるうちいつの間にか両親との連絡は一切途絶えてしまっていた。
唯一電話番号を教えていた(それでも一切連絡のなかった)弟から電話が来たのは、
俺の彼女のお腹に子供がいることが判明した今年2月の事だった。

母が倒れたと言う。
両親に対する反抗心はもうなかったが、いまさら帰るのは正直億劫だった。
母が深刻な状態などとは思ってもいなかった。
それでも行く気になったのは、彼女を紹介しようと考えたからだ。

母親が亡くなったのは、翌日俺たちが高速道路を走っている頃だったらしい。
久しぶりに会った親父はひどく小さな背中をしていた。
相変わらずの無骨な声で、「よう」だか「おう」だか一言発しただけだった。
母は俺の記憶とは全く違う老いた顔で、それでも安らかな表情で眠っていた。
涙は出なかった。

葬儀も終わって一週間位たった頃、親父から俺宛にひとつの段ボール箱が届いた。
中身は父の無骨な字で書かれた「母さんの形見だ」というメッセージと大量の手紙、
そして、ひとつの指輪だった。
百通以上はあろうかという手紙は、すべて母が俺に宛てて書いたもので、
俺が家を出た頃から書いていたらしい。
母らしい丁寧な字で ひたすら俺のことを心配する、そして自分の不甲斐なさを俺に詫びる内容だった。
それらの手紙は、親父らしからぬ几帳面さできちんと順番に梱包されていた。
同封されていた指輪にも一通の手紙が添えられていた。
「この指輪は、私のお母さん、つまりあなたのおばあちゃんの形見です。
私が結婚するときにもらったものです。
あなたにいい人ができたら、この指輪をプレゼントしてあげてください。
私の両親や私たちのように、幸せな家庭を築いてください。」
俺は指輪と手紙を彼女に渡して、黙って寝室に行った。

しばらくして彼女が真っ暗な部屋に入ってきて、俺の背中に背中を合わせて座った。
すすり泣いていた。
その時、「あぁ、泣いてもいいんだ」と思った。
涙が出てきた。止まらなかった。母さんごめんな。そしてありがとう。
生まれてくる娘の名前には、あなたから一文字頂きます。
あなたに返せなかった愛情を、そのぶんこの子に与えられるように。

そして、あなたの優しさや強さをこの子に伝えるために。

3: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 11:56:29.83 ID:MxH7/mRw0.net
あの日俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕食も食べずに部屋に篭もった
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたようだ、が、父親が部屋に飛び込んで来たので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の父親の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげて下さいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のためにはアイスを買いに行って事故にあったとわかった

通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんな
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている。

5: 名も無き被検体774号+@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 11:59:42.80 ID:zoR3AW3G0.net
no title

2: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 11:52:34.61 ID:MxH7/mRw0.net
私の父と母は、昔から仲が悪かった。
喧嘩する仲というよりも、冷え切っていた。
それは小学生だった頃の私にもわかる程だった。
気付いたら父が別居していたりと、どちらかというと母と一緒にいた記憶のほうが多い。
強くて美しい母は、私には冷たかった。理由は未だにわからない。
母が夜に遊びに出掛けるのを、私が泣いて嫌がると、重いソファーに潰して出掛けたり
学校の帰りが少しでも遅くなると、遠くから走って家に入ろうとする私を、
母は玄関から冷たい目で睨み、玄関の鍵を締めたり、とにかく、嫌われていた。
そして私は、どんどん壁を作った。傷つかないように。
大好きなママに、これ以上嫌われないように。

私が中学生になった時には、既に完全に別居となっていて、父と会う事はほぼなくなっていた。
兄はグレてしまい、高校を中退し家を出ていってしまった。
冷え切った関係のまま、母と私の二人暮しで数年過ごした。
中学三年の半ばのある日、ママは夜遊びをせず家にいた。嫌な予感がした。
ご飯を食べ終わった後、ママは言った「ママ、離婚して東京に行くから」
美人で、気丈なママが、私の膝の上で泣いた。初めて泣いた。
壁が出来上がっていた私には、無表情で「そう」「うん」としか言えなかった。
でも、そんなママの姿を見て私の涙は止まらなかった。
ママは私を嫌っているのに、なぜ泣く?

私が高校に上がったら出ていく、とママは宣言した。
ママとの二人暮しも、高校に上がったら終わり。
それからのママは、壁はあるものの優しかった。
高校の入学式の朝、ママは数年ぶりに「おはよう」と言ってくれた。
気恥ずかしいせいか、笑顔ではなかった。でもママなりに頑張ったんだと思う。
部屋の中の片隅には、ママの荷物がまとまっていた。
洗濯や掃除も、すべて片付いていた。
「○○が家に帰ってきたら、ママいないからね」と念を押した。
泣かない。絶対に泣かない
そして、私は玄関を出た。薄いカーテン越しに、私を見ているのがわかった。
どんな気持ちで見ているのかはわからなかった。

入学式が終わると、走って家に帰った
もちろんママは、いなかった
大好きなママ、ひとりぼっちの家、ひとりぼっちの高校生活、手料理の味
涙が、止まらなかった。

4: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 11:58:05.98 ID:MxH7/mRw0.net
今年の3月
高校卒業と大学入学祝いに父と2人きりで初めて酒を飲んだ
父と対座して酒を酌み交わすってのが
なんとも居心地が微妙なもので・・・。
かといって 下戸なのですぐに酔ってしまい、
父はカラカラと、これじゃあ酒でまだお前に負けることはないなと
笑っていた。

しかしその3日後に緊急入院。
末期の食道癌で家に帰ることなく闘病7ヶ月でこの10月10日に逝った。
あの日が最初で最後の父と息子の晩酌だった・・・。


父の遺品を整理していると、ワインが納屋からまだいくつか出てきた。
几帳面な父らしく綺麗に生理整頓されていた。
俺は銘柄の良し悪しは良く分からないが、ラベルを見てみると、
何か文字がメモしてあった。

「××(俺の名)大学卒業用」
「××就職時用」
「××結婚時用」

瓶を抱いて俺はずっと泣いてしまった・・・。
ワインをあける機会を奪った病気を恨んだ。

もっと酒を教えてもらえばよかったと、もっと色々話しすればよかった

本当に・・・。

6: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:00:04.35 ID:MxH7/mRw0.net
学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので結局日帰りにしてしまった。
母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んでいると、父が会社から帰ってきた。
口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、一緒に居ると息苦しさを感じていたので、父が帰宅する前に帰ってしまいたいということもあり日帰りにし、ひいては家から通えない距離の学校を選んだのも理由の一つだった。

父が、「なんだお前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、
「そうか・・・」と言いながら手に持っていた ドーナツの箱を私に差し出し、
「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。
電車の中ではさすがに食べられないと思いながらも受け取った。

駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。
家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。 でも、私が9個貰っても食べきれないよ・・・
箱の中を覗き込みながら苦笑した。
その直後。
あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。

様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、どれもこれも
切なかったり苦かったりばっかりで。
手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯直後の干す前みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、もう一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた・・・。

 

 

1.5: ホイミ速報 2013/07/06 07:22:46 ID:H0IMIS0K

 

 

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7: 名も無き被検体774号+@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:00:14.10 ID:zoR3AW3G0.net
no title

8: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:00:55.45 ID:MxH7/mRw0.net
>>7
ずれたんかいw


母が脳梗塞で死んだ。
43歳だった。

10日まで元気だったのに。急に逝ってしまった。本当に急に・・・
11日の朝、母は低血圧で夜遅い仕事のせいもあるのだが朝が弱い、朝食を作るのは俺の日課になっていた。
いつもみたいに朝御飯作って母さんを起こしに「ごはんできたぞ」と呼んだ。
でもいくら呼んでも返事がなかった。いつももう少し寝かせてとぶーぶー文句言いながらも、絶対に起きてくるのに、おかしいと思って見に行ったら母さんはもう冷たくなってた。
最初はふざけてるのかと思った・・・

俺がまだ3歳のときに父親が死んで女手一つで俺を育ててくれた母さん。
よく口論もしたし引っ叩かれもした。まるで姉弟のようにほんとよく喧嘩した。
母さんが会社の帰りに飲みにいって終電なくなると毎回俺が呼び出された。
あきる野に住んでるってのに新宿だ、吉祥寺だと。
あちこち呼び出され、ほんとアホかと。

高校卒業間近の時、金きついのに大学いかせてくれた。
金ないんだから働くよと言ったら、おもいっきり引っ叩いてまで俺を大学に行かせてくれた。
今年大学をキッチリ卒業して就職してこれからやっと親孝行できる身になったのに…。
なのに母さんは急に死んでしまった・・・

友達や親族とかにこの顔見せるのはさすがに辛いからここだけで叫ばせてくれ。
かなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしい
どうしよう。なんかもうなにしていいのかわからない。
今年の年末年始は母さんを旅行に連れてってやろうと思ってて…。
もう計画だってちゃんと立っててあとは年末年始を待つだけだった…。
結局俺はなにもしてあげられなかった。

母さんの生命力吸い取るだけ吸い取って。
一人前に俺がなると生命力吸われすぎて交代のように母さんだけ消えてしまった…。
やっと親戚も全員帰ってくれてこれでやっと一人で泣ける。
なんか泣くのガマンしすぎた。
これ書きながら涙とまらない。
母さん幸せだったのかな。幸せにしてあげたかったな。
女で1つで育ててくれた母さんに親孝行したかった・・・・

9: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:03:52.50 ID:MxH7/mRw0.net
俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。

あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。

当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。

それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。

そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。

10: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:06:01.42 ID:MxH7/mRw0.net
大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。

俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」

正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。
往年の面影も消え、ガリガリになった親父がまた時計をくれた。
まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。

俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・
親父が死んだ今も、金ピカの時計はまだ時を刻んでいる。

11: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:07:47.42 ID:MxH7/mRw0.net
私の父は無口で頑固で本当にこわくて
親戚中が一目置いている人でした。
家に行ってもいつもお酒を飲んでいて
その横で母がせわしなく動いていた記憶があります。

私が結婚する事になり、ドキドキしながら主人を連れて行くと
ずっと黙ったままやっと口を開くと
「ビールは何を飲むんや?」でした。
その日はなんとか無事に終わり、式の当日終始酒をつぎにまわってた。
その後、子供が生まれ少し育児ノイローゼ気味になった私を見て
なぜか毎日孫の世話をしに来るようになった。
当然子供の面倒など見たことないので、する事がめちゃくちゃで
イライラしていた私は嫌味ばかり言ってしまった。
2ヵ月後、あまり調子がよくないと言っていた矢先他界した。
なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう?
紙オムツの仕方を聞かれて、それぐらいわかるでしょって
なんで冷たく言っちゃったんだろう?
あの日、自分でどうにかしようと思って変な形になったオムツが
残されてた・・・
その後、毎日つけていた日記が見つかり、式の当日
「あのバカ娘がとうとう嫁に行った。最後の挨拶では涙が出た。
幸せになれ。」って書いてた。
おまけに家には主人があの日答えた「アサヒビール」が
押入れいっぱい詰められていた。

12: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:09:15.17 ID:MxH7/mRw0.net
母というものを知らずに育っていた。
でも、祖父母も父も俺を愛情を持って育ててくれていたし、
祖母は事あるたびに母の悪口を言っていたから、会いたいと思ったこともなく、
むしろ憎んでいたかもしれない。

中学2年の夏休みの頃だったか、予定より早く部活を終え、帰宅すると、
家の前に見知らぬ女性がいた。

にっこり笑いかけ○○君でしょ?って声をかけて来た。
頷くと、祖母を訪ねて来たが留守のようなので困っていたとのこと。
待っていうちにお腹がすいて来たので、おごるから一緒に近くで食事をしないかと言われた。
自分も空腹だったので、不審に思いながらも付き合うことにした。

ファミレスで彼女は食事をしながら俺にわからないように何度も涙をぬぐっていた。
俺もいくらなんでも彼女が何者なのかを察していたが、知らないふりを通していた。

「おばさんのお父さんがね、昔、事業に失敗して大きな借金を作っちゃったの、
おばさん、保証人になっていたから借金取りが私のところにも来ちゃって大変だったのよ。
その時○○君のご家族にもご迷惑かけちゃって・・・」
と離婚の原因になったようなことも話していた。

その女性はそれ以降も何度か俺の前に現れては食事に誘ったりお小遣いをくれたが、
どこかのオバサンという認識でしか考えないようにしていた。

でも、そのうち、彼女がやってくるのを心待ちにしていることに気が付いた。
(決してお小遣いをくれたり食事を食べさせてくれるから、というのじゃなく)
祖父母や父は絶対そんなことがあったことを知らないと思っていた。

高校受験が間近に迫っていた頃、祖母がポツリと独り言のように言った。
「そろそろ、母ちゃんって呼んでやりんさいな。あんたももうわかっとるんやろ?」

13: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:10:52.28 ID:MxH7/mRw0.net
これ、反抗期の時の話しなんだけど、今でも忘れられない。
幼い頃からずっと片親で育ってきた私は、父親と二人暮らしをしてた。
友達や親戚から見ても、誰から見ても、私を大事に宝物の様に可愛がってくれて、
一生懸命働いてくれてた。

私の願い事は無理してでも、自分を犠牲にしてでも叶えてくれた。
風邪の時には仕事さぼってでも側に居てくれてた。
寂しい思いはさせなかったと思う。
二人きりだけどクリスマスや誕生日も毎年してくれた。
けど、十代半ば、反抗期のせいで、父の優しさが凄くうざくなってきたんだ。
心配される事とか、口聞く事も、すべてがうっとおしくなったんだ。
私は毎晩、夜遅く帰って来て、父が心配してくれても、私は父に罵声しかあびせなかった。
友達と遊ぶ事が楽しくて、だんだん家にも帰らなくなった。
そんな毎日を繰り返し、また夜、久しぶりに帰ったら私の分のおかずとか、
小さなケーキがおいてあったんだ。
もう誕生日も二~三日すぎてたのに、おいてあって、毎日ご飯作って、
いつ帰って来るのか分からない私をずっと待っていてくれてたんだとおもったら、
切なくて悲しくて申し訳なくて涙が溢れてきた。
そして無造作に置かれてた小銭入れ、ボロボロな汚い小銭入れ、
私が幼稚園の頃に父の日にあげたやつ。まだ使ってたんだ。
父は、ほんとに私を誰よりも何よりも大切な宝モノなんだって事が胸につきささって、
父に優しくしてあげられなかった事に、また泣いた。
また後から知った事だけど、私が小さい頃に書いた父の日のカードも、肌身離さず持っていました。
あの一件以来、私はちゃんと帰るようにはなりました。

そんなこんなで今私は結婚もして、もうすぐで子供も産まれます。
私は父がくれたあの愛情を、これから産まれてくる子供にたっぷりそそぎます。
そんな私をこれからも空から見守っててください。
お父さん、こんな私を育ててくれてありがとう。私はとっても幸せです。大好きだったよ。

26: 名も無き被検体774号+@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 13:12:35.87 ID:zoR3AW3G0.net
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暇なので泣けるコピペを貼って行くパート1【泣ける2ちゃん・親子編】」への2件のフィードバック

  1. 平日は読まないよ。
    休みの前に読むからね。
    乾燥注意報でてたのかな?
    潤いが必要なのね♪

  2. しっかりしなきゃぁって思ってるから
    親の葬式って泣けなかったなぁ~。
    感謝って、何か起こらないと感じないしね
    ずっと親のことをわすれないって
    親にとったらありがたいことだね。

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